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さて、この辺りもいよいよ桜の季節です。
前回の書き込みから1ヶ月あまりたってしまいましたがお許しを~
♪桃尻娘さま
おまたせしました~!!
タンポポ団について
以前連絡事項に使っていた
平成タンポポ団の掲示板に書き込んだものを
ちよっと手直ししてここに発表しようと思います/
『だいたいのミュージシャンの皆様方はタンポポ団て「大勢で何かわいわいと面白い事をやっていた楽しいバンド」といったような認識だったのでは無いでしょうか?実は立ち上げから解散までの経緯を知っているのは僕と渡だけで、渡が逝ってしまった今となっては、その真相を知るのは僕ひとりになってしまいました。そこで解散の事はひとまずおいて、タンポポ団とはどんなバンドだったかと言う事を思い出してみようと思います。中津川のジャンボリーのため一回こっきりのバンドを作ろうと渡の提案で武蔵野タンポポ団は結成されました。ところが中津川から戻って何日かして、渡から事務所に渡とタンポポ団としての仕事が沢山来ているんだけどどうしようかと言うことで、タンポポ団を再結成する事になったのです。メンバーは、渡、シバ、若林、ベースに雅美ちゃんこの4人がオリジナルメンバーです。ですから、ほとんどのツアーはこの4人でまわっていたのです。大きなイベントとか、その他のミュージシャンとのイベントなどの時だけ不特定多数のミュージシャンが参加していただけだったのです。で、どんなバンドだったかというとやりたい曲を持ち寄ってというのではありませんでした。皆で出来る曲、というのが基本でした。そのため僕の曲はほとんど却下されました。オリジナルを持ってみんなソロでも出来る人たちだったので、やりたい曲はその時にと言う事だったのです。そんなわけでミッドナイトスペシャルもタンポポ団のために渡が考えて作り上げた曲でした。レパートリーの曲の構成は自己申告生でこの曲だったら俺はこの楽器をやろうといったようにソロを取る人間が指定すると言ったものではなかったのです。渡はマンドリンやらオートハープとか持ち込んで、僕はバイオリンにまで手を出したものした。そして、それらは曲のバックという認識はなかったように思います。タンポポ団は面白い事や楽しい事をやるバンドでは無く1曲を皆で共有して演奏して、そうやって出来上がっていくそれが面白くてたのしかったんです。タンポポ団だけの時にはオープニングは必ずスローブルーズで始まり、各自その日あった事や思いを即興の歌詞をつけて演奏したものでした。長くなってしまったのでおしまいにしますが、ひとつだけ。タンポポ団が面白い事や楽しい事をやるだけのバンドだったら、多くの聴衆に受け入れられ、解散の段階で半年先までスケジュールがびっしりなんて言う事があったでしょうか?僕はこう思うのです、1曲を演奏者全員で共有し作り上げた曲、いや!聴衆もふくめて1曲を共有して出来上がった曲だったからこそ、面白くて楽しかったのではないでしょうか。だからこそ、沢山の聴衆に受け入れられ共有されたのだと思います。そして、それがタンポポ団だったんです。武蔵野タンポポ団て名前も、シバがタンポポ食べてたからとかと言うことになってますけどそれは違います。もちろん僕が当時考えていた漫画のタイトルだったわけですがバンド結成にあたり、一回こっきりならなおさらと、ちゃんと裏の意味があったのです。我々はタンポポのガクについた種の一つ一つで、いずれ皆離ればなれに飛んで行くけど又その地で花を咲かせようという、そういう想いをこめたバンド名だったのです。』
そういう事だったのですが
時が経てばどれもこれもが伝説になってしまいますね。
デビューアルバムが
「武蔵野タンポポ団の伝説」
もう最初から伝説だった訳ですものね。
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